われらの研究室 羽仁もと子
婦人之友創立者
羽仁もと子、吉一の歩み
羽仁もと子は1873(明治6)年9月8日、青森県八戸市に生まれる。明治女学校に学び、1897年に報知新聞に入社し、日本初の女性新聞記者の一人となる。羽仁吉一は1880(明治13)年5月1日、山口県三田尻(防府市)に生まれる。漢学塾で学び、もと子の3年後に同社記者となり、翌年2人は結婚。
1903(明治36)年4月3日、長女説子が生まれた翌日に、夫妻で『家庭之友』を創刊。続いて「羽仁もと子案家計簿」「主婦日記」を創案。1908(明治41)年、『婦人之友』を創刊。1921(大正10)年、キリスト教精神に基づき自由学園を創立。各地に生まれていた「婦人之友読者組合」が、1930(昭和5)年に「全国友の会」として誕生した。
最晩年まで、もと子は『婦人之友』巻頭に友への手紙を、吉一は巻末に雑司ヶ谷短信を書き続け、そのほとんどが『羽仁もと子著作集』全21巻と、『雑司ヶ谷短信』(上下巻)に収められている。1955年吉一は75歳、1957年もと子は83歳の生涯を閉じた。
今秋は、羽仁もと子の生誕150年を迎える。
1951年『婦人之友』4月号・座談会「芸術と教育」より。写真は右から清水多嘉示(彫刻家)、羽仁もと子、齋藤秀雄(音楽家)、羽仁吉一。婦人之友社クラブハウスで暖炉を囲んで。
創刊120周年を記念して、
新しいCI(ロゴ)が生まれました。
ともに手を携えて、未来へ向かって、新しく、活動的に。
そんな思いのこもったロゴデザインは、
関本明子さん(アートディレクター・グラフィックデザイナー)によるものです。
120周年のその先へ、皆さまと歩み続けていけますように。
デザインのイメージは、竹久夢二の詩と絵、「手を つなご」。
羽仁もと子・吉一が大正3年から30年間、子どもたちへと出版していた絵雑誌「子供之友」の1932年(昭和7年)1月号に載ったものです。
新聞広告
3月25日(土)の朝日新聞朝刊に全面広告を掲載しました。
婦人之友社 出版/サービスのご紹介
建業120周年の新聞広告に掲載された福岡伸一さん。連載エッセイを一冊にまとめました。
※新聞広告に掲載されたエッセイは収録されていません
わたしの すきな もの
著者:福岡伸一 価格:1,650円(税込)
福岡伸一
生物学者。⻘山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書 『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『フェルメール 光の王国』『センス・オブ・ワンダーを探して』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。2016年より『婦人之友』に「わたしの・すきな・もの」を連載。
関連団体
自由学園は1921年、羽仁夫妻によって創立されました。キリスト精神を土台に、自ら考え行動する力、社会の課題に向き合いよりよい未来を創る力の育成を目指し、緑豊かなキャンパスで、幼稚園から大学部、更に生涯教育へと至る一貫教育に取り組んでいます。2024年度より中高の男女共学化を開始する予定です。
1927年、婦人之友社「羽仁もと子著作集 1〜15巻」の刊行を契機に、1,000人の「婦人之友」の愛読者によって、1930年「全国友の会」が発足しました。「愛・自由・協力」の精神で、健全な家庭をつくり、社会の進歩に役立ちたいと、年代をこえて共に学び励み合っています。現在日本各地から海外まで180友の会、会員数は約15,000人です。