おばあちゃんの食器棚 2章・第5話「呼び寄せのポット」
小さな家に残された、ひとつの食器棚。
はるさんが残した器や布たちが、
手しごとの物語を
静かに語りはじめます。
稲垣早苗・文 大野八生・絵
第5話「 呼び寄せのポット」
私がここにいて、皆さんの仲間に入れてもらっているのは、なんだか申し訳ない気持ちだったんです。だって私は、この食器棚にいる他の方たちと違って、工芸作家という人の手から生まれたのではなかったから。
私が生まれたのは、陶磁器が毎日たくさん作られる町。同じ顔をした仲間がどんどん生まれてくるところ。完成するといろんな町のお店に運ばれて、そこで誰かに買ってもらうのを待っていたのでした。
その日、私はなんだかいい予感がしていたんです。きっと誰かが私を見つけてくれるって。でもお昼が過ぎても、夕方になっても、私を手に取ってくれる人はいませんでした。かわいい猫の絵がプリントされたごはん茶碗や、きれいな白いお皿はどんどん包まれていったけれど、ただのひとりさえ、私に触れる人もいなくって。
ああ、今日もここの棚で眠るのかしらね、と思い始めたとき、女の人がお店に飛び込んできたんです。その人はちょっと青ざめた表情で店内を見まわすと、私の目の前にやってきました。そして優しく包むように掌に載せて、蓋を取って中を見たりしましてね。うれしかった。そう、私はお茶を淹れる急須、その蓋なんですの。女の人は再び急須を棚に置いて、ぐるりとお店の中を見まわしました。ひと呼吸つくと、もう一度私を掌に抱き上げてくれました。そしてそのまま、レジのおばさんに包んでもらったんです。
私が連れていかれたのは、プーンと薬の匂いがするところでした。包みを解かれてまわりを見たら、そこは病院。女の人は、私を流し台で洗ってから、熱々のほうじ茶を淹れました。そして湯飲み茶碗にお茶を注ぐと、ゆっくりと口に含みました。ふうーっ。お姉さんが心から一息ついたことが私にはよくわかりました。なんだかすごく役に立った気がして、とてもうれしかったんです。
病室で寝ていたのは女の人のお母さんでした。事故にあって病院に運ばれてきていたんです。連絡を受けた女の人、はるさんというのですが、洗面器と石鹸だけを持って病院にかけつけていて。あんまりびっくりしてあわてていると、訳もなく変なものを持ってきてしまうんですね。行き先はお風呂屋さんではなくって病院なのに。
病室で眠っているお母さんを見ながら、はるさんは思い立ったように外に出ました。そしてすぐに陶磁器屋さんに入って、急須を買おうと思ったんですって。ほかに必要なものはいろいろあったのだけれど、まずおいしいお茶を飲んでから考えようって。そして、お母さんが目を覚ましたら、とびきりおいしいお茶を淹れてあげようって。こうして私は、はるさんに選んでもらったのでした。
お母さんの怪我が治って退院すると、私はお母さんの家に行くことになりました。私を気に入って、毎日おいしいお茶を淹れて楽しんでくれました。それはそれは、幸せな日々でしたよ。ある冬の日、お母さんがうっかり手を滑らせて私を落としてしまうまでは。そう、私というか、急須の本体が割れてしまったんです。
お母さんはとっても悲しんで、私は自分の身のことよりも、そのことの方が悲しくなったくらい。ごめんなさいね、ごめんなさいね、と繰り返しながら、幾つかのきれいな形の陶片を花壇の縁の飾りにして、残りの粉々になった急須のかけらを、庭の片隅に埋めました。蓋の私を残して。
こうして私は、しばらくお母さんの台所の端っこでくすぶっていたんです。するとある日、はるさんがやってきて私を見つけてくれたのでした。
「お母さん、これってあの急須の蓋だよね」
「そうなの、はるちゃんが買ってくれたのよね。ごめんなさいね、お母さんうっかり落として割っちゃったのよ。とっても気に入っていたのに」
「お母さん、この蓋ちょうだい。ちょうどこういうのを探していたの」
はるさんはそう言うと、私をふわふわのタオルに包んで連れ帰ってくれました。
こうして私の新しい人生は、はるさんの家で始まりました。こじんまりとした部屋には、不釣り合いな大きな食器棚があって、その食器棚を開けると、はるさんは水色のきれいな磁器のポットを取り出しました。そのポットには蓋がなくて、代わりに私をそっとそのポットに載せたんです。
「わ、やっぱり、ぴったりだった」
そう言うと、ポットに茶葉を入れてお湯を注ぎました。はるさんはお母さんとは反対に、蓋を割ってしまったのでした。
水色の磁器のポットは、まあるいきれいなかたちをしていましてね。はるさんのお店で売られていたんだそうです。おいしくお茶が淹れられると評判で、その理由が私にもすぐわかるようになりました。
ポットに熱いお湯が注がれると、私はただじっと湯気をふさいでいるばかりでしたけれど、その中では、ゆるやかな胴体をなぞるように茶葉がまわって、しっかり葉が開いていく様子がきれいでしてね。豊かな味と香りに淹れられたお茶は、はるさんを幸せな気持ちにしていました。私には温かさを閉じ込めていることしかできないけれど、精一杯、その仕事を務めてきたんですの。
はるさんがおばあさんになっても、陶器の蓋の私と磁器のポットはずっと一緒でした。ポット作りの名人と言われた陶芸家が作ったその本体は、茶こしの作りも丁寧で、注ぎ口も取手のバランスも絶妙。蓋の私も一緒にいるほど好きになるポットなのでした。もう何十年になるでしょう。実は近頃、蓋と本体だと分けて思うこともなくなってしまいましてね。生まれは別々だったけれど、こうして一緒においしいお茶を淹れ続けてきたものですから。かけがえのない相棒となった本体も、きっとそう思ってくれていると思うんです。
「呼び寄せ」
ある日、はるさんが私たちポットのことを、家にやってきたお友だちにそう紹介していました。まるで呼び寄せあったようにぴったり馴染んで、ずっとおいしいお茶を入れ続けてくれるこのポットが大好きだと。
はるさんの食器棚に一緒にいる器たちは、どれも作った人がはっきりとしていて、それぞれに作った人の想いがあるものばかり。そんな中で最初の頃は居心地が悪かったんですけど、いつしかそんなことも感じなくなりました。はるさんは、誰か特別な人が作ったからよいものだ、なんて思ってはいなかったんですね。ずっと使っていたいものが大切なもの。そんなポットとして、はるさんの最後の日まで食器棚にいられたこと。今は誇らしい気持ちでいっぱいなんです。
(第6話につづく・2022年9月12日頃に掲載予定)
稲垣早苗(ヒナタノオト)
作り手と使い手の橋渡しをする、工藝ギャラリーの仕事を続けて36年が過ぎました。
人の手から生まれた愛おしいもの。「伝える、贈る、遺す」を心において物語を紡ぎます。
大野八生(イラストレーター)
植物を中心とした、繊細でいてあたたかな絵が人気。小社発行の『明日の友』表紙を長年描く。絵本や児童書の挿絵を描きながら、造園家としても活躍。
★ご感想はこちらまで→ https://forms.gle/7jKMJVh1HvbsesiE9
第1話から4話までは、『婦人之友』2022年5月〜8月号に掲載されています。ぜひ、お手に取ってご覧ください。