おばあちゃんの食器棚 第6話「銅の茶匙」
小さな家に残された、ひとつの食器棚。
はるさんが残した器や布たちが、
手しごとの物語を
静かに語りはじめます。
稲垣早苗・文 大野八生・絵
第6話「銅の茶匙」
「あなた、いい色してるわね」
新しくこの食器棚に入ってくる器に、私はよくそう言われたものだわ。そうなの、わたしの色はこんがりとした色。でも、小麦色に日焼けしているわけじゃないのよ。そんな表面だけの茶色ではなくて、もっと内側から深く深く輝く茶色なの。奥ゆかしく、控え目に、鈍く。
私の出番は、ほぼ毎日。煎茶にほうじ茶、紅茶もいろいろ。はるさんはそのときの気分で茶葉を選んでいたから、お役目の相手もいろいろでね。でも、あくまでも主役は茶葉の方々。そして、ポットやお湯のみにカップの面々。三十年以上働いた私は、名脇役といったところかしらね。
カン カン カン カン
私はこんな音の中から生まれたの。どっしりとした木の台に開けた穴に、当て金と呼ばれる鉄を刺しこみ、そこに置かれた金属の板を叩きながら。
私を作ったのは朝さん。金属で装身具や暮らしの道具を作る人。金属は、叩いたり、溶かしたり、刻んだりしてかたちを作っていくのだけれど、茶匙はまず叩かれて姿を生み出してもらうのね。
朝さんが叩いて作るものには、ミルクパンや花瓶などいろんなかたちをしたものがあったけれど、どれも最初は同じ姿。一枚の鋼板。それを叩いて叩いてかたちを作るの。不思議でしょう、平たい板が叩くことで立ち上がっていくなんて。もちろん技が要ることなんだけれど、どんなに技術や道具があっても、ひたすら叩いてもらわなくっちゃ、私は生まれてこなかったのね。
朝さんは工藝を学ぶ大学で一通りのことに触れて、もの作りとは関係のない会社で働き出したんです。でも、なんだか毎日が心弾まなくなっていったとき、ふと、金属を叩くことを思い出したそうよ。絵を描いたり、機で布を織ったり、ろくろを回して焼き物を作ったり、もしかしたら何でもよかったのかもしれないけれど、無心に金属を叩いていたときの心地よさが懐かしくなって、久しぶりに大学の工房を訪ねてみたんですって。
株のような当て台に鉄の当て金を据えて、一枚の銅板を叩く。カン、カン、カ、カン。あ、この感じ。固い金属が叩くと柔らかくなっていく。
柔らかくなったところを作りたい形に導きながら、カン、カン、カンとまた叩いていく。それは、固い板に横たわる原子を動かす、采配を振るような感覚。気を抜けない独特なリズム。ああ、久しぶりに自分が深く呼吸をしている。しばらく、なんて浅い呼吸ばかりの日々だったんだろう。そう思い出すと、ただこの呼吸を毎日していたい。そう心の底から思ったんですって。
それをきっかけに、朝さんは、金工工房との縁を得て、アシスタントとして働き出しました。いつか金属でものを作る人になろう、金属を叩く仕事をしていこうと希って。自分の呼吸は、金属を叩いているときが本物の呼吸だから、やめたりしたら、自分の呼吸ができなくなってしまうから。
朝さんの工房の主、師匠となった人は、物静かな人でした。話し言葉を聞くよりも、槌音を聞くことの方が多かった工房での日々。
「朝の叩く調べは、機嫌がいいな」
ある日、師匠が声をかけてくれました。朝さんは初めて褒められた気がして、その言葉を心の中で抱きしめました。機嫌がいい。そうだ、機嫌よく叩こう。それは、機嫌よく呼吸をすること。機嫌よく生きていくこと。ものを作ることと生きていくこと。朝さんの中で、一本の筋がはっきりとつながったのでした。
はるさんのお店では、朝さんの装身具を売っていました。朝さんは独立をしたあと、指環や耳飾りなどを主に作るようになっていました。金工工房で働く頃から手がけるようになって、いつしか愛おしい、大切な制作になっていたんです。
師匠のもとでボウルや酒盃の制作を続けながら、平たい金属を叩いて立ちあげていく喜びは増すばかりでしたが、仕事として作り続けることが朝さんの体力にはそぐわなかった。好きな仕事を精一杯するほどに、身体の疲れや傷みが増していく。
機嫌よく叩こう。機嫌よく呼吸をしよう。そのためには、身の丈に合った制作の度合いを探っていこう。そう模索していく中で、装身具の制作の時間が増えていったのでした。
朝さんの作る装身具はとても人気がありました。素材の性質をよく知って慈しむ人が生み出す金属の表情は、深々と美しかったのです。そしてその装身具には、草花のモチーフを取り入れるようになっていました。朝さんは庭仕事を丹精する人でもあったのです。
納品の機会が増えて、お店を訪ねることが多くなったある日、実は金属を叩くことがとても好きだと言うと、はるさんは瞳を輝かせてこう言いました。
「茶匙を作ってくれないかしら」
茶匙。朝さんの瞳も一瞬にして輝きました。作りたい。そうだ、茶匙の大きさを叩き出すのは、自分にはきっと合っている。茶葉を掬う匙。使う人の手が喜ぶ暮らしの道具。作りたいイメージはぐんぐん広がって、すぐにでも金槌を振り出したい気持ちになりました。
こうして、試作としてでき上がったのが私なんですの。はるさんに使い心地を試してもらおうと、朝さんが贈って。以来二十年ほど、この家で働いてきたんです。
私をはじめ、朝さんの作る茶匙には、どれも草花の文様が加飾されているの。私には椿。お茶の仲間の植物ですものね。ほかに野菊や桜など。匙の用途に文様が要るわけではないけれど、朝さんは想いを込めてひと匙ずつに花を描き、刻み、彫り続けました。
「花咲くように、お茶の葉が開きますように」
多くは作り出せないものだからこそ、ひとつひとつに想いをこめて作っていこう。機嫌よく叩きながらと。
あるとき、はるさんのお店で、朝さんが布を織る人と話をしていたわ。
「布は、羊や蚕を育てたり、棉や麻を植えて糸を作ったりしてできるけれど、金属って新しく生み出すことはできないのね。この地球に埋まっている限りのもの。使うばっかりで生み出すことができない大切な素材を使わせてもらっているのが、私の仕事。だから、ずっとずっと大事に使ってもらえるものを作らなくっちゃね」
朝さんに、今の私を見てもらいたいって、最近思うの。はるさんに使われて、こんなに美人さんにしてもらったのよって。
「こんなふうに育ててもらって、よかったわね」
朝さん、きっとこう言うんじゃないかしら。そして、ますます心を弾ませて、私のきょうだいを増やしていくんでしょうね。カン、カン、カンと叩きながら。
(第7話につづく・2022年10月12日頃に掲載予定)
稲垣早苗(ヒナタノオト)
作り手と使い手の橋渡しをする、工藝ギャラリーの仕事を続けて36年が過ぎました。
人の手から生まれた愛おしいもの。「伝える、贈る、遺す」を心において物語を紡ぎます。
大野八生(イラストレーター)
植物を中心とした、繊細でいてあたたかな絵が人気。小社発行の『明日の友』表紙を長年描く。絵本や児童書の挿絵を描きながら、造園家としても活躍。
★ご感想はこちらまで→ https://forms.gle/7jKMJVh1HvbsesiE9
第1話から4話までは、『婦人之友』2022年5月〜8月号に掲載されています。ぜひ、お手に取ってご覧ください。