おばあちゃんの食器棚 第11話「白磁のスープボウル」
小さな家に残された、ひとつの食器棚。
はるさんが残した器や布たちが、
手しごとの物語を
静かに語りはじめます。
稲垣早苗・文 大野八生・絵
第11話「白磁のスープボウル」
手の記憶。
私が初めて目にしたものは手、でした。
窯の扉が不意に開いて光が射し込み、その手が窯の中に入ってきたのです。
節の太いごつい指。力強い腕。その手にしっかりと掴まれて、白磁のスープボウルである私は、外の世界に出てきました。
私を作ったのは伸平さん。当時は40代半ばの陶芸家でした。伸平さんは出会いの縁に導かれるように、薪窯での焼き物にのめりこんだ人でした。
出会いの縁とは、ものと人とのこと。
胸が締めつけられるほど魅せられた焼き物の数々。そして、それを作り出す人との出会い。心が惹かれるままに工房を訪ね、ときに住み込み、窯焚きの手伝いをしながら陶芸を学んだ伸平さん。学んできたのは、陶芸の技だけではありませんでした。
薪を集めて整えて窯の火にくべるまで。その一連の営みと日々の寝食がつながっていること。特定の師匠を持たなかった伸平さんでしたが、お世話になった幾人かの先達の生き方、暮らし方、そして作り方は、いつしか伸平さんの生き方、暮らし方、作り方に染み込んでいったのでした。
はるさんが伸平さんと出会ったとき、伸平さんはすでに私のような白磁の
器だけを焼いていました。
すでにというのは、以前の伸平さんは、釉(うわぐすり)を掛けない、焼き締めと呼ばれる器だけを作っていたからです。
その焼き締めの器は、穴窯という原始的な窯で焼かれていました。伸平さんはその窯を築き、直しを重ね、薪を集めることにたっぷりと時間を注ぎました。そして、ろくろでかたちを作った器を窯に詰めて、1週間ほど昼夜を分かたず薪をくべて火を焚き続けたのでした。
けれど、力を尽くして窯出しをしても、器がうまく焼けないことの方が多かったのです。数か月にわたって心血を注いだ結果が思い通りにいかなかったときは、重い岩が心と身体に覆いかぶさるような感覚から、しばらく抜けられなかったりもしました。
それでも伸平さんが焼き続けていたのは、心が輝く瞬間に恵まれることがあったからでした。窯出しをして、被った灰から器を磨きだす。火の記憶が焼き付いたかのような得も言われぬ表情に巡り合えると、この世にこんな喜びは他にあるだろうかというたかぶりに包まれて、もっと美しい景色を器に見てみたいと、次の制作への展望に心がはやるのでした。
・・・
はるさんのお店で、伸平さんが作った白磁の器、そう私の仲間たちはたくさんの方に選ばれていきました。特に多かったのは、スープにまつわるかたちのもの。私のような鉢だったり、たっぷりとしたカップだったり。「カフェオレボウルもスープボウルにもいいですよ」とはるさんはお客さんに薦めていましたね。
それは、はるさんがスープ作りを習慣にしていたから。
はるさんのスープの基本はキャベツとセロリと長ネギ。軽く炒めて香りを引き出し、水を入れ、そこにあり合わせの野菜を投入して煮込むのでした。根菜、葉物、キノコ……。ブロッコリーの芯や面取りした大根や人参のかけらなんかも気にせず入れて。あまり決めつけないで手元にあったもので作るから、飽きなかったんじゃないかしら。でも、トマトは入れないようにしていましたね。味が一辺倒になってしまうからって。
大鍋で作った野菜スープを、はるさんは調理のたびに小鍋に移して味付けを工夫していました。お出汁と合わせて味噌汁にしたり、ミルクを足して洋風にしたり。お出汁も多彩に揃えていましたし、鯵を三枚に下ろしたときには中骨を、有頭海老を調理したときには、おかしらをショウガと合わせて風味豊かなスープをこしらえて。カレーやシチューのベースになったりもしましたね。
はるさんの野菜スープ。これは、仕事をしながら家族の食卓を支える柱だったのです。食はいのちの源。そのいのちを支えるスープを盛る器として、私たちはたくさん使ってもらいました。伸平さんの器自体に、すこやかないのちを感じるからと。
そもそも伸平さんの白磁は、世にある多くの白磁器とはちょっと趣が異なっていました。白磁と言えば、薄くてかたちが揃った清潔で端正な器が多い中、伸平さんの白磁は、青みがかった白から黄みがかった白までうっすらと色合いに幅があって、厚みはややぽってり、かたちにも心地よい揺らぎがありました。
器にそのような表情が生まれるのには、伸平さんの窯に理由がありました。電気やガスといった安定した熱源で焼かれるのではなく、伸平さんの白磁は薪窯で焼かれたもの。大掛かりな穴窯での制作で培った経験を生かして、ほどよく小回りが利く薪窯を独自に築いたのでした。以前はどこか戦いを挑むように大きな窯に向かっていたものを、身の丈に築いた窯の前では、対話をするような心持ちで器を焼くようになっていたのです。
若さにまかせ、腕も脚も腰も酷使してきた伸平さん。その渦中にあるとき、ひとは自分の若さの眩しさに気づかない。それは当たり前のもので、その時間が永遠に続くのだと。いや、そんなことさえ意識もせずに。けれど、若さの頂点から降り始めたあるところで、ふと気づいてしまう。昨日まで出来たことが難しくなっていくことに。
伸平さんはそう気づいたとき、諦めよりは卒業するような気持ちになったのではないかしら。やりたかったことをやりきったと。そう思えたからこそ、ギアを切り替えてみたんだと思います。これからの自分の時間を新鮮に豊かにしていこうって。
伸平さんにとって、穴窯から身の丈の薪窯への転換が、きっとギアの切り替えだったのですね。
今、伸平さんの陶芸には、若さの盛りの頃に打ち込んだすべての経験が粒子のように詰まっているのだと思うんです。そして、こんな呟きを漏らしていたこともありました。
「ずっと自分が美しいと思うものばかりを追い求めてきたけれど、今はそれに加えて、使ってくれる人にも喜んでもらえるものを作りたい」
って。伸平さんが心地よく制作できるすべを探した先に、私たち白磁の器が生まれてきたんです。
手の記憶。
日々私に重なっていくその記憶は、食器棚を開ける幾つかの手の姿。
はるさんのもの、お父さんのもの、陸君の手、菜津ちゃんの手。
いくつもの器の中から私を選ぶ手が、私を働かせてくれるのです。
そして、私に盛られたスープはきっと、家族の舌の記憶になっていくんでしょうね。
ひとりの人間が持たされた時間、その折々を懸命に生きていくこと。そのときならではの実りを重ねていくこと。
はるさんは工藝品というものに、人が精一杯生きてきた実りの結晶を見ていたのかもしれません。
(第12話につづく・2023年6月中旬頃に掲載予定)
稲垣早苗(ヒナタノオト)
作り手と使い手の橋渡しをする、工藝ギャラリーの仕事を続けて36年が過ぎました。
人の手から生まれた愛おしいもの。「伝える、贈る、遺す」を心において物語を紡ぎます。
大野八生(イラストレーター)
植物を中心とした、繊細でいてあたたかな絵が人気。小社発行の『明日の友』表紙を長年描く。絵本や児童書の挿絵を描きながら、造園家としても活躍。
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第1話から4話までは、『婦人之友』2022年5月〜8月号に掲載されています。ぜひ、お手に取ってご覧ください。