しぜん・しごと・暮らしは地つづき 最終回「次の世代へ”いのち”を繋ぐ」 | 婦人之友社 さあ、生活を発見しよう

しぜん・しごと・暮らしは地つづき 最終回「次の世代へ”いのち”を繋ぐ」

 
 岐阜県にある白山国立公園の南側に位置し、縄文の時代から続くという集落、石徹白(いとしろ)。
 この地の自然と土地が培ってきた人々の暮らしを受け継ぎ、現在の私たちに「服づくり」という形で、古くて新しい文化を伝える「石徹白洋品店」の活動や日々の営みを、店主の平野馨生里さんがつづります。
 

 

石徹白洋品店の しぜん・しごと・暮らしは地つづき [最終回]

次の世代へ”いのち”を繋ぐ

平野馨生里(石徹白洋品店・店主)

 

 

 

 

 秋が深まり、まわりの木々が色づき始めました。寒い日が増えると、ぐっと彩りが冴えてくる山の景色を愛でるのが日課です。

 

 

10月は命のめぐりを感じる季節。

 

 4月からスタートした藍染は10月には終わり、甕(かめ)の中の藍色が失われた液体は畑に還します。これらは翌年の藍の肥やしになります。藍染の作業がある間はずっと気を張っているので、ふと力が抜けほっとします。

 

 藍も立派に育ち、刈り取りがすべて終わりました。それらを乾燥させて葉を山のように積み上げ、発酵させ、すくもを作り始めるのも10月です。これは再来年の藍染の原料になります。

 

すくもの仕込み

 

 冬になる前に子孫を残そうと、藍は花を咲かせ、たわわな実りを見せてくれています。霜が降りる頃、お天気と睨めっこしながら快晴の日にタネをとり、次の命をつなげていきます。

 

満開の藍

 

 一雨ずつ肌寒くなってくる時季に少し寂しさを感じながらも、藍染の終わりと初めに関わるこうした作業に加え、冬野菜の栽培や漬物の準備で慌ただしく、あっという間に雪が降り始め、白い季節が訪れるのです。

 

 石徹白に来て13年。私はここで暮らしを営むことで、より強く「いのち」を感じるようになり、一日いちにちを慈しみ、毎日を充実した気持ちで過ごせるようになりました。

 

 

自然の中での様々な「いのち」

 

 私が初めて石徹白を訪れた2007年以来、私はここで生きてきたおじいさん、おばあさんたちにものすごくお世話になってきました。「たつけ」の作り方を教えていただくことはもちろん、漬物の漬け方や山菜の保存方法、あるいは、子育てについて、そしてこの厳しくも豊かな自然や文化のある石徹白で生きていくということ……。

 

りさこさんにいろいろなことを教えていただく

 

 いつでもなんでも教えてもらえる、誰かに聞くことができてわからないことはすぐに解決できる、さらには、何かあったらいつでも助けてくださる……。

 私はずっと彼らの存在を拠り所とし、彼らの懐に入れてもらって、心身ともに安心した状態で日々を過ごしてきました。

 

 ところが、ここ数年のうちに、頼れる80代、90代の先人らが次々と、もうお会いできない状況になっていきました。多くの方は最期まで外で野良仕事をしたり、台所仕事をしていたので、私は急な訃報に毎回驚き、悲しみに暮れています。

 

 しかしながら、人生を全うするとは、こういうことなのかもしれない、と再び、彼らから大きな気づきと学びをいただいています。

 

 そして、このようなことが重なると私は心細さを抱きながらも、そろそろ、私自身が学んだことを糧にして自分の足で立ち、自分の力で「生き方」をどう築き上げていくかを考えていくタイミングではないかと、40代を過ぎてより深く思うようになりました。

 

 植物がタネをつけ、そのタネが新しい芽を出して花を咲かせ、枯れていく。枯れていくものは、次のいのちのために土に還り、豊穣な大地となる。そこに新しいいのちが芽吹く。

 

 私はまさに、この循環の中に居て、ここで次のいのちを育み、そして、いつか土となるまで、いただいた学びを糧にしてやるべきことをやっていく。先人らのように日々愉快に、豊かな気持ちで。加えて、今ここにいる私だからこそできる創造を掛け合わせて……。

 

 

“石徹白らしい”風景を繋いでいく第一歩

 

 石徹白には、外屋(げや)の屋根が折れてしまった一軒の家があります。築150年ほどの古い建物で、今では集落内にはもうほとんどなくなってしまった板張り壁。中に入ると真っ黒に燻された太くて無骨な梁や床板、建具が目に飛び込んできます。

 

築150年の板張り壁の家

 

 2階は民俗資料館さながらで、ここでの生活に不可欠だった蓑や深靴、筵(むしろ)など藁の道具、木を山から出すための持ち上げられないほど巨大な手橇(てぞり)や各家に必ず一台はあったという腰機(こしばた)を分解してまとめたものなど、煤けた木の道具などがゴロゴロしています。つい先日までここで暮らしが営まれてきたような様相で生々しさを感じます。

 

雪深い地域での暮らしに不可欠だった古道具

 

 家の構造も、残された道具も、まさに私がこれまで先人らに教えてもらった「石徹白」独特のもので、石徹白での暮らしが見えるようです。

 

 豪雪地帯である石徹白では、空き家となり住む人を失った家は雪で潰れてしまう前に早い段階で壊されることが多いです。この家も、次の冬がやってくる前には、もう解体すると聞いていました。しかしこれは、石徹白に最後に残された“石徹白らしさ”が色濃く残る建築物と思われ、壊すのは惜しい、なんとかしたい、という気持ちが湧いてきました。

 

 そこで、家主さんにお話しし、譲ってもらうことになったのです。そして、地区内で年々少なくなってきた宿泊の場としてリノベーションし、一人でも多くの人に石徹白での時間を経験してもらいたいと考えています。

 

 

短く、儚い「いのち」

 

「いのち」は次々と移り変わり、古いものから新しいものに更新されていきます。短く、儚い。私たちもその中にいます。

 

 けれど、「家」はそのいのちを育む場として、何代にもわたって手を加えながら順番に受け継がれてきたものでした。

 私はどうやら、その「いのち」の痕が見えるものが好きなようです。

 

 まさに「たつけ」もそうで、ただ単に一人のデザイナーがその時々のインスピレーションで創造したものでなく、生きるために欠かせない生きるための服。それは、時代を超えて多くの人々が作り続け、作り方が手渡され、よりよい形が生み出され、長い時間の中で積み重ねられて、受け継がれてきたものでした。それを、たまたま今の時代に生まれた私が、前の時代の人たちに教えてもらって、次の世代に手渡す役割を担っていると感じています。

 

先人にたつけの構造やつくり方を学ぶ

 

 古い家もたつけも私にとって同義のものです。

 それらをどう受け継ぐか、そして受け継いだものをそのまま使うのではなく、今の時代の文脈にいかに置き換えて考えるのか。さらには今ならでは、私ならではのエッセンスをどのように加えて、いかに伝えていくのか、ということを考えています。

 

教えていただいたものを伝えていく

 

 そして、受け継ぎ、新しくしたものを傍に暮らしていくだけではなく、それをもって「どう生きていくか……」ということを考え続けています。

 私は常に模索の最中にいます。それはこれからも、当分の間続いていく気がしています。未知なることが満ちていてワクワクに溢れている、そんな日々を過ごしていきます。

 

 

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 1年間に渡り、連載をさせていただきました。お読みくださり、どうもありがとうございました。読者の方に直接お会いして感想をいただくことが何よりも(恥ずかしさもありつつも)励みとなり、全12回を続けることができました。

深く感謝しております。

 

 岐阜の山奥ですが、石徹白へぜひ一度訪れてみてください。どの季節も素晴らしく美しいところで、心も体も洗われます。いつでも歓迎! 心よりお待ちしております。

 

 

 


[編集部から]

古くからその土地で営まれてきた暮らしには、多くの知恵が詰まっています。そんな暮らしを学び、生業(なりわい)として実践し、そして次の世代へ繋げていく活動や暮らしは、平野さんの生き方そのものだと感じます。

12回の連載を通して、日々の暮らしと生業に真摯に向き合う平野さんの想いを、皆さまにお伝えできましたことを嬉しく思います。

 

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