近代史 日本とアジア 上 日清戦争からシベリア出兵まで
19世紀終末の日清戦争、更に20世紀初頭の日露戦争の勝利による講和条約を経て日本が進めた、誤った植民地支配の過程が史実に則し理解できます。中国東北への侵略戦争、1931年の満州事変に繋がることになります。
著者紹介
(1933年-2010年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
1958年、朝日新聞社入社。政治部、調査研究室主任研究員などを経て、流通経済大学法学部教授。専攻、日中関係史。
目次
- 前書き
- はじめに 歴史の教訓に学ぶ
くり返される政治問題
核心は歴史認識の問題
教訓となる手本――ワイツゼッカー演説
- 第一章 日清戦争
日清戦争のもつ意味
なぜ日清戦争は起きたか
隣国朝鮮は日本の「利益線」
強引に開戦へ
日本の勝利と三国干渉
台湾を植民地として統治
- 第二章 日露戦争と重要な結果
後退する朝鮮政策
北東アジアへ勢力拡大するロシア
対露政策と日英同盟
注目すべき韓・清への方針
「富国強兵」政策――軍事力の強化
日露戦争開戦へ
調停に乗りだした米国
日露講和条約の締結
難航した日清満州問題交渉
韓国併合
植民地支配へ――「憲兵政治」で臨む
ひずみを生むさまざまな規制
- 第三章 膨張する「大日本帝国」
南満州鉄道株式会社の設立
満州問題をめぐる米英との軋轢――ロシアと協調へ
さらなる大軍拡
辛亥革命と日本――「中華民国」の成立
「満州問題」の浮上――諸権益を手放したくない日本
「満州は我帝国の一大宝庫」
満州ですすむ都市づくり
山東半島出兵――第一次世界大戦参戦へ
中国に対する「二十一ヵ条」要求
反袁活動の盛りあがり
シベリア出兵
日中軍事協定の締結
成果なく撤兵へ
パリ平和会議と日中問題
中国で反日「五四運動」起きる
朝鮮独立運動「三・一事件」
- 第四章 ワシントン条約体制と日本
曲がり角の日本外交
満蒙権益擁護のための張作霖支援政策
ワシントン会議
幣原外交の限界
中国統一をめざす国民革命軍の北伐進軍
幣原外相辞職――ワシントン条約体制の打破
- 関係主要年表