近代史 日本とアジア 下 満州事変から日中国交正常化まで
満州事変の6年後、盧溝橋事件が起こり、日中の全面戦争となります。戦線は泥沼化し、1941年の経済封鎖打開の日米交渉も儘ならず、日米開戦へと突き進み、太平洋全域に拡大。後の日中国交正常化までを収めています。
著者紹介
(1933年-2010年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
1958年、朝日新聞社入社。政治部、調査研究室主任研究員などを経て、流通経済大学法学部教授。専攻、日中関係史。
目次
- 第五章 満州事変――背景と事件の拡大
悩む張作霖対策
張作霖を爆殺
張作霖事件の背景
抗日に踏み切る張学良、国民政府と合体へ
行き詰まる張学良との鉄道交渉
間島で起きた暴動事件と日本の対応
日中関係をさらに悪化させた万宝山事件
中村大尉射殺事件――「満州事変」へ
「満州事変」発生――陸軍の暴走
- 第六章 日中全面戦争への道
複雑な中国内の情勢
満州支配へ足固め
「満州国」樹立――その実態
関東軍、さらに南へ
「無政府状態」に陥った日本外交
抗日に立ちあがる中国
西安事件の発生――一致抗日へ
- 第七章 拡大する日中戦争と日米関係
盧溝橋事件の発生――日中全面戦争へ
無定見な「トラウトマン工作」の失敗
亀裂深まる米英との関係
米国、日本に中国政策の修正迫る
- 第八章 太平洋戦争へ――東南アジアの支配
日ソ中立条約の締結――「北進論」から「南進論」へ
東南アジア進出の決定
仏領インドシナへ派兵
米英と戦う方針決定
東南アジアへ侵攻
東南アジア支配の実態
インドネシアの場合
戦争と朝鮮・台湾の民衆
敗戦へ
- 第九章 戦後処理
サンフランシスコ条約体制
日台条約の締結
日中国交正常化
- 関係主要年表
- 後書き