東日本大震災から7年の現地より
東日本大震災から7年の現地より
婦人之友社 編集部 小山厚子
東日本大震災から7年の月日が流れました。2011年3月11日午後2時46分の地震発生と、続く津波の襲来。日暮れて暗く、寒さに震えた辛い夜が明け、一変した光景に愕然とした朝。再び夜が来て朝を迎えて2550日あまり、日々の生活が重ねられていました。
3月6日、宮城県石巻市の半島部、雄勝地区を訪ねると、狭隘な沿岸部は荒涼として人家も店も数えるほどで、人の営みが途絶えたままに見えました。けれども、入り組んだ海にはホタテや牡蠣の養殖いかだがびっしり。漁業が行われている証拠です。震災前約50人の子どもがいた雄勝保育所は、昨年4月に再建されたものの今はまだ8人。ここで海と共に生きていこうとがんばる若い漁師さん一家の子どもたちです。
石巻市北上町十三浜でも、山林を切り拓いた高台に新たな住宅団地ができました。「これを機に、まちから戻って来た若い家族もいる。子どもの声が聞こえるのはうれしいっちゃ」と佐藤清吾(漁協十三浜支所前運営委員長)さん。十三浜には4月、地域の人々が集い、楽しみ、語り合う場となるコミュニティセンターがオープンします。「人口は震災前から半減したが、みんなで楽しく元気に暮らしていきたい」と、石巻市北上地区まちづくり委員会の鈴木学さん。
この7年、被災した方々は、どんな思いで朝を迎え、夜の眠りに就かれたでしょうか。絶望の朝も、希望に向かう夜もあったに違いありません。福島には未だ、故郷に帰ることのできない方々がいます。ご家族を失った無念や悲しみは癒えることがないでしょう。
被災した方々の友になりたいと、読者の皆さんと支援や交流を続けて来た私たちですが、独りよがりではないか、地域の暮らしや願いを理解しているだろうか等々、自問自答を繰り返して来ました。それでも、「また来てね」「待ってるよ」と声をかけていただき、それを励みに、現地の皆さんから浜の仕事などを教わりながら、ここまで来ました。
4月から高校生になる十三浜の佐藤寛哉君は、ボランティア活動にやって来た自由学園男子部高等科3年生にこう語りました。「振り返ると7年は長いようで短かったです。世界中からたくさんのボランティアの人たちが来て助けてくれました。何度も来てくれた人たちとは親しくなり、辛いことがあってもその人たちにまた会えると思うとがんばれました。感謝の方が大きいです」と。
復興の歩みよりも、忘れ去られてゆく速度の方が速いようにも感じるこの頃ですが、深まった人と人のつながりが消えることはありません。これからも、被災地に思いを寄せ続けて参ります。そして、いつどこで起きるかわからない自然災害を、わが事として受け止めたいと思います。